絣の歴史と絣ロード

バリ島グリンシン

絣の歴史

様々な技法でつくられる織物の中で、「絣」は糸をあらかじめ多色に染め分けて、文様を織り出す平織りの先染め織物です。
シンプルなイメージのある平織りですが、絣の布面には非常に多彩且つアーティスティックな文様が躍るように織り込まれる事があり、愛好家の心を揺さ振る趣深さを感じさせてくれる技法でもあります。

「絣」は7〜8世紀頃にインドのラジャスターン地方で発祥したと伝えられており、アジャンタの石窟寺院にも矢絣風の腰巻を着た人物が描かれています。

「絣」の技術には、経糸を括って絣模様を織り出す「経絣(縦絣)」、緯糸を括って絣模様を織り出す「緯絣(横絣)」、そして経糸と緯糸の双方を括って絣模様を織り出す「経緯絣」があります。

その中で、東南アジアの絣の歴史の中で特筆すべき物は、インド・グジャラート州パタンでつくられる経緯絣のパトラ( Patola)かと思います。

パトラは、17世紀頃からオランダ東インド会社の輸出品として、当時、オランダが宗主国として支配していたインドネシアにもたらされ、渡来の貴重品として王族・貴族のステイタス・シンボルとされました。
そして、そのパトラにあしらわれることの多い華麗な花文様は人々の憧憬の的となり、その花文様を模倣した絣が広く東南アジアに広まりました。
こうした模倣のパトラ文様が、やがては王族・貴族のための禁制文様とされた地域も多々あります。

この様に、かつては禁制文様であったパトラ風の花文様ですが、今日では一般の人々も着用が可能となり、東南アジアでつくられる絣に好まれて広く織り込まれています。
言わば、パトラは近世の東南アジアの染織に大きな影響を与えた絣と言えるかと思います。

絣ロード

絹がもたらされたシルクロード(絹の道)と同じように、「絣ロード」と呼ばれる西洋や日本への絣の伝播ルートがあります。
絣は上記の様にインド発祥と伝えられておりますが、日本への絣の伝播ルートは複数あったと考えられております。
下の地図は、そのルートの一つで、

・インド→ビルマ(ミャンマー)→タイ→マレーシア→インドネシア→フィリピン→台湾→沖縄→日本本土

の伝播ルートを表したものです。

その他にも、

・インド→カンボジア→インドネシア→フィリピン→沖縄→日本本土

・インド→ビルマ(ミャンマー)→タイ→中国→沖縄→日本本土

・インド→インドネシア→フィリピン→台湾→沖縄→日本本土

といった日本への伝播ルートがあったと伝えられます。

フローレス島のイカットづくり

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